保坂 和志。 保坂和志《世界の奏でる選書フェア》リスト

【おすすめ】保坂和志の全作品を一覧であらすじを紹介します

さて、この保坂和志という「ビョーキ」がこれからどのように変異し、どのように感染していくのかを想像するために、我々はすこしばかり未来へと時間旅行し、今猛威を振るっているこの「ビョーキ」を過去のものとして眺めてみなければならない。 ちゃんとしていると、そんなに後悔しなくて済むんです。 それも単に論理を重ねるのではなく、「論理的ではない自分の心の動きを解明する」かのような思考が展開されている。 『プレーンソング』には、8mmビデオカメラを常に持ち歩き撮影を続けるゴンタという青年が登場する。 第54回 「北の河」• 収録:「小説、言語、現実、神」• それが「キャウ!」なんだよね。

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〈対談〉保坂和志+山下澄人 「世界を変えるために」

『』1993年3月号に発表した、『プレーンソング』の続編である『草の上の朝食』にて第6回候補に選出されるも落選。 第99回 「尋ね人の時間」• 第53回 「玩具」• はじめて歩くゴンタの方は三人の様子を撮ったり、この中村橋あたりのマンションがまだ点在の状態で全体として畑の面積に負けていて、何軒か藁葺き屋根の農家の名残りがあったり、塀に囲まれた中に大きな木を何本も茂らせている旧家があったりする風景を撮ったり、定期的に空にカメラを向けて夕方から夜になっていく様子を撮ったりしていたが、ゴンタが撮ろうとしていたのはそういう一つ一のことではなくて、あのときにぼくたちがああいうことをしていたということの全体なのだろう。 は早稲田大学時代に自主映画に出演していた際に保坂と面識を持ち、保坂の卒業後も食事を奢られるなど付き合いが続いていた。 」 (『考える練習』より引用) 社会とどう関わっていくか、文学ははたして役に立つのか、考えるとは何か、といったことから、お金など身近なことまで、本書では保坂和志がさまざまなことに真摯に向き合います。 保坂 あと、小説全体は「僕」の一人称で書かれているのに、「知子」のところで三人称になるところがあるんですよね。

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プー太郎友達らに嫌われたくない(保坂和志『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』を読んで)|杉原 学|note

また、小説以外にも『考える練習』や『人生を感じる時間』など、「どうしたらよりよく生きていくことができるか」といったテーマの本も書いていて、物事について深く考えていることがわかります。 2017年現在、もっとも高度に拡張された人間の感覚器とは何か。 ストーリー性は薄いものの、読んでいてとても心地のいい文章です。 これまでも保坂さんは、説明はわずかでいい、人物を導入する時も少しの特徴だけを書いたほうがリアリティを高める、といったようなことを書かれてきましたね。 保坂の初期小説は常に行為・知覚・思索・記憶を編むようにして展開されてきた。 わかったこと 読んだ本のリストを見て、あらためて気付いた。

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保坂和志

たとえば、主人公がはじめて会った猫に接近しようとする場面を、保坂は次のように描いています。 それにしてはあまりにリアルな感覚ではあるが。 千葉 アハハハハ! たしかに適当ですね(笑)。 『草の上の朝食』(講談社、1993年)のち文庫、中公文庫• 第162回 「背高泡立草」. 『残響』(、1997年)のち中公文庫• 十九世紀末に科学や技術が急速に発達して、無線の通信とか写真とかが発明された時代にチェーホフがこういう問いを立てたと考えてみると、これらの言葉は一気に唯物論的になるというか、唯物論と信仰の境界にある言葉になります。 これが夢の中の出来事だということも、はっきり自覚している。 6年間の大学在学期間のうちの5年目から小説の習作を始め、6年目に同人誌『NEWWAVE』を発行、メンバーには、、などがいたが、1号で廃刊となる。

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ハレルヤ

でもそうすると回想っぽくなって、もっとじめっとする気がするんだよね。 感心するというのも変だけれどそんなことを思い出しながらはじめに見た笑い顔なんかと考えあわせてぼんやりしているあいだに、アキラはほんの三日前に代々木公園で声をかけたんだというようなことを耳打ちしてきて、それを聞きながらぼくは勝手に、よう子も無一文で仕事もなくて大学みたいなところにも行ってないのだろうと考え、(後略)(『プレーンソング』1990 p58) こういう営みは、しかし、本来人間の行動と意思決定のプロセスの中であたりまえに行われているもので、つまり保坂の小説というのは、行為・感覚・思索・記憶で編み上げられたものとしての人間の営みを、丁寧にほぐして並べなおすことによって、人間のシステムそのものを表現するかのような、換言すれば「脳の中の現実の放り出し」のような小説だということである。 しかし当たり前のことだが、目を閉じてしまえば、その時物理的身体が歩いている時代・世界の世界観を捉えることはできない。 「彼等夫婦が訳あって住むことになった彼の母親の生家は、夫婦二人で住むには当然広すぎて使わない部屋が三つある。 ここからの100年以降、文学は同じような問いに拘泥し、このモチーフから「一歩も前に進んでいない」と保坂は指摘する。 一九八五年からの二年間で、随分昔のことですから、いざ書こうとしても、ほとんど何も思い出せなかったんです。 「海」が検索ワードとして提示されるのとほぼ同時に、可能な行き先の選択肢がリストアップされ、それぞれの海水浴場の地理的情報から視覚的イメージ、はてはそこで泳いだ誰かの記憶までが、全員の間で既知のものとなる。

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11月、わたしは「書くこと」について考えていた。

1981年、大学を卒業し、西武コミュニティカレッジで、講座内容の企画を担当。 出来事というのは自分から離れているものですから、書き出すのは大変だけど、軌道に乗ると楽しいですよね。 うちの甥っ子と姪っ子が小学生のとき、将棋を覚えたんだよ。 「規則正しく労働することに本質的に向いていない人が、世の中には必ずいるものなのだ」 なんと力強い言葉だろうか!(笑)。 吉田貴司『やれたかも委員会』1巻(双葉社、2017年)帯文• 私の蔵書の中から、猫が出てくる本を中心に、動物に関係する本を選びました。 在学中から小説の執筆活動を始める。 それで、さあどこに行こうかという話になるとアキラは、 「え? どこって? だって海行くんでしょ」 と言ってるくらいでアキラには海ならどこでもよかった。

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